厳しい寒さの中で雪を抱いた羽山が静かに春を待ちます。

冬は和紙作りの季節です。

昭和59年に和紙づくりの経験者が”山舟生和紙”の復活に取り組み、地区内の人達や小学校に伝承しています。出来上がった和紙は、各学校の卒業証書や版画用紙として使用されています。


紙漉きに適した自然環境に恵まれて、長い歴史を経て受け継がれてきた山舟生和紙がいつ頃から漉かれていたか定かではない。ただ、言い伝えによると、文治以前、既に漉いていたとも、大阪の役の落人が教えたとも言われているようである。

昭和12年頃、和紙の歴史地理研究の第一人者だった京都大学教授の寿岳文章先生が、全国の紙漉き村研究のため当地を訪れた際「こんなに素朴で美しい村では、醜い紙の漉かれやうがない」と称賛していることからさぞ良い紙が漉かれていたであろうと推察される。
時代の変化とともに和紙の需要が激減し、同時に和紙生産者も年々減少し、昭和55年頃遂に絶えてしまった。長い歴史とともに受け継がれてきた紙漉き技術と業が消滅してしまうことは残念なことだという地域住民の声により、平成7年、これを復活させ、時代に即した用途別和紙製品づくりを目指し、研究を重ね、同時に山舟生小学校の児童に和紙づくり体験学習を行なうなど後継者育成にも努力をつづけている。また、同小学校の卒業証書用紙を作るなど、山舟生和紙が復活した。